アルベルト・フォン・トゥルン・ウント・タクシス
同名の曾孫については「アルベルト・フォン・トゥルン・ウント・タクシス (1983年生)」をご覧ください。 |
アルベルト・フォン・トゥルン・ウント・タクシス Albert von Thurn und Taxis | |
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第8代トゥルン・ウント・タクシス侯 | |
トゥルン・ウント・タクシス侯アルベルトと妻マルガレーテ・クレメンティーネ大公女、1890年 | |
在位 | 1885年6月2日 - 1919年8月11日 |
出生 | (1867-08-05) 1867年8月5日 バイエルン王国、レーゲンスブルク |
死去 | (1952-01-22) 1952年1月22日(84歳没) 西ドイツ、レーゲンスブルク |
配偶者 | マルガレーテ・クレメンティーネ・フォン・エスターライヒ |
子女 | 一覧参照 |
家名 | トゥルン・ウント・タクシス家 |
父親 | マクシミリアン・アントン・フォン・トゥルン・ウント・タクシス |
母親 | ヘレーネ・イン・バイエルン |
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アルベルト・マリア・ヨーゼフ・マクシミリアン・ラモラル・フォン・トゥルン・ウント・タクシス(ドイツ語:Albert Maria Joseph Maximilian Lamoral Fürst von Thurn und Taxis, 1867年8月5日 - 1952年1月22日)は、最後のトゥルン・ウント・タクシス侯(在位:1885年 - 1918年)。
生涯
トゥルン・ウント・タクシス侯世子マクシミリアン・アントンとその妻でバイエルン公マックス・ヨーゼフの娘であるヘレーネの間の次男。1885年に兄マクシミリアン・マリアが若くして亡くなると、侯爵家を継いだ。1889年に金羊毛騎士団の騎士に叙任された。
1890年7月15日、ハンガリーのブダペストにおいて、オーストリア大公ヨーゼフ・カールの娘マルガレーテ・クレメンティーネと結婚し、8人の子女をもうけた。
子女
- フランツ・ヨーゼフ(1893年 - 1971年) トゥルン・ウント・タクシス家家長
- ヨーゼフ・アルベルト(1895年)
- カール・アウグスト(1898年 - 1982年) トゥルン・ウント・タクシス家家長
- ルートヴィヒ・フィリップ(1901年 - 1933年) 1922年、ルクセンブルク大公女エリザベートと結婚
- マックス・エマヌエル(1902年 - 1994年)
- エリーザベト・ヘレーネ(1903年 - 1976年) 1923年、ザクセン王家家長フリードリヒ・クリスティアンと結婚
- ラファエル・ライナー(1906年 - 1993年) 同族のマルガレーテ・フォン・トゥルン・ウント・タクシスと結婚
- フィリップ・エルンスト(1908年 - 1964年) 同族のオイラリア・フォン・トゥルン・ウント・タクシスと結婚
先代 マクシミリアン・マリア | トゥルン・ウント・タクシス侯 1885年 - 1919年 | 次代 貴族制廃止 |
先代 マクシミリアン・マリア | トゥルン・ウント・タクシス家家長 1885年 - 1952年 | 次代 フランツ・ヨーゼフ |