アンリ・ジラルデ
アンリ・ジラルデ Henri Girardet | |
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アンリ・ジラルデ作「ナポリで魚釣りする少年たち」 | |
生誕 | 1848年9月21日 スイス、ブリエンツ |
死没 | 1917年12月10日 スイス、ヌーシャテル |
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アンリ・ジラルデ(Léopold-Henri Girardet、1848年9月21日 - 1917年12月10日)はスイス生まれで、フランスなどで働いた、画家、版画家、イラストレーターである。
略歴
スイス、ベルン州のブリエンツで生まれた。曾祖父がヌーシャテル州で書店、美術出版業をしていて、多くの画家、版画家を輩出した家系の出身で、祖父のシャルル・サミュエル・ジラルデ、父親のエドゥアール・ジラルデは画家、版画家としてフランスのパリやスイスで働いた。弟のピエール・ジラルデ(Pierre Girardet: 1850–1884)、ロベール・ジラルデ(Robert Girardet: 1851–1900)、マックス・ジラルデ(Max Girardet: 1857–1927)も画家になった[1]。父親はパリで学んだ後、スイスで活動していたが、パリの美術商、グーピル商会のために働くようになり、アンリ・ジラルデが9歳になった1857年に家族はパリ郊外に移った。父親から絵を学び、グーピル商会のために作品を描き、パリの雑誌、「ル・マガザン・ピトレスク」に多くのイラストを提供するようになった。
フランス各地や北アフリカ、イタリーを旅し、作品を描き、1874年からパリの展覧会にも出展するようになり、1904年頃まで出展を続けた[2]。1887年に経済的理由で、スイスに移り、ブリエンツやヌーシャテルに住み[3]、ヌーシャテルで没した。
作品
- ビスクラのコーラン学校
- ナポリの子供たち
- 「ル・マガザン・ピトレスク」挿絵、ブルターニュのリュステファン城の遺跡