ジプシーの聖母

『ジプシーの聖母』
ドイツ語: Zigeunermadonna
英語: The Gypsy Madonna
作者ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
製作年1511年頃
種類油彩、板
寸法65,5 cm × 83,5 cm (258 in × 329 in)
所蔵美術史美術館ウィーン
ジョヴァンニ・ベッリーニの『聖母子』。デトロイト美術館収蔵。
眠れるヴィーナス』。アルテ・マイスター絵画館所蔵。

ジプシーの聖母』(ジプシーのせいぼ、: Zigeunermadonna, : The Gypsy Madonna)は、イタリアルネサンス期のヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1511年頃に制作した絵画である[1]油彩聖母子を描いた初期の作品で、聖母マリアの黒い髪や瞳と浅黒い肌にちなんで、19世紀以来『ジプシーの聖母』と呼ばれている[2][3]。おそらく教会ではなく家庭での礼拝のために制作された[1][4][5]。現在はウィーン美術史美術館に所蔵されている[2][3][6]

作品

本作品はティツィアーノの師であるジョヴァンニ・ベッリーニから影響を受けていることが明白であり、特にデトロイト美術館の1509年のベッリーニの『聖母子』(Madonna and Child)を逆にした特徴的な構図を採用していることから、巨匠に対する挑戦と見なされてきた[7][8][8]。聖母マリアは聖母画の基準から見ても若々しく、どこかよそよそしい印象のベッリーニの『聖母子』に比べて人間的な温かさと肉感をもって描かれている[2]。また幼児キリストの両手は母親の指と衣装をしっかりつかんでおり、この点はベッリーニと異なっている[1]。様式はジョルジョーネに依拠しており、20世紀初頭にはしばしばジョルジョーネに帰属されていた。これは特に、ティツィアーノが後の聖母画で繰り返さなかったタイプの図像を使用した、聖母像の「調和のとれた充実とゆるやかな形の重力」に当てはまる[1][9]。風景は実質的にドレスデンアルテ・マイスター絵画館の『眠れるヴィーナス』の画面左側の遠景部分と同じであり、伝統的にジョルジョーネによって制作が開始されたと考えられていたが、現在では1510年のジョルジョーネの死後にティツィアーノによって描かれたと考えられている[1][8]

右の背景は折り目が注意深く描かれた《名誉の布》で占められている。それらはしばしば折りたたまれて保管され[1][8]、即位した聖母の非常に多くの絵画が示しているように玉座の後ろに掛けられた[10]。ここでは空いている玉座が右側に見えないことを意味しており、デトロイト美術館のベッリーニは同じ趣向を用いている。したがって、構図はより古い公式の即位した聖母像と、風景の中に聖母子が描かれた非公式の新しい構図の中間段階に位置している。しばらくの間、ベッリーニとその追随者が描いた聖母画は絵画の側面に小さな風景を垣間見せる形をとっており、通常は下の欄干によって下部を切り落とし、常套手段である横の「風景」の形式を使ってこれを発展させた[5]

シドニー・J・フリードバーグによると、ティツィアーノが「光学的技巧を自由に駆使することで作り出す心地よい存在の効果はたいへんな妙技である。色のついた光を反射するだけでなく、極限まで吸収することで大気中にはっきりと生きているのと同等の存在感を獲得し、肌や着衣のひだの細孔が質感を生み出しているような作品は本作品以前の絵画にはない」と述べている[9]。ベッリーニとジョルジョーネに負うところが大きいにもかかわらず、この絵画は当時21歳だったティツィアーノが、独自の個性と様式を発展させていることを示している[1][8][11]

科学的な調査は絵画がもともとデトロイト美術館のベッリーニの『聖母子』にさらに近く、塗装の過程で多くの変更が加えられたことを明らかにした。ティツィアーノの下絵はベッリーニの絵画に通常見られる注意深いものとは異なり、薄く影をつけたかなり幅の広いブラシで要約された線のみを用いて描いている[8]。また幼児キリストはもともと鑑賞者を見ていた。

来歴

ウィーンの他のいくつかの重要な初期のヴェネツィア絵画のように、作品はおそらくヴェネツィアの美術史家バルトロメオ・デッラ・ナーヴェ(英語版)のコレクションにあり、1636年にヴェネツィアで初代ハミルトン公爵ジェイムズ・ハミルトンに売却され、ハミルトン公爵はそれをロンドンに持ち込んだ。1659年のハミルトンの処刑後、ブリュッセルオーストリアの大公レオポルト・ヴイルヘルムに売却され、そのコレクションはすぐにウィーンの帝国コレクションに移された[3][6]

脚注

  1. ^ a b c d e f g David Jaffé 2002, p.74.
  2. ^ a b c イアン・G・ケネディー、p.15。
  3. ^ a b c “Titian”. Cavallini to Veronese. 2021年7月21日閲覧。
  4. ^ David Alan Brown 2006, p.56.
  5. ^ a b David Alan Brown 2006, p.58.
  6. ^ a b “Zigeunermadonna”. 美術史美術館公式サイト. 2021年7月21日閲覧。
  7. ^ David Alan Brown 2006, p.31.
  8. ^ a b c d e f Sheila Hale 2012, p.64.
  9. ^ a b Sydney Joseph Freedberg 1993, p.145.
  10. ^ “Cloths of honour”. ナショナル・ギャラリー公式サイト. 2021年7月21日閲覧。
  11. ^ Sydney Joseph Freedberg 1993, pp.144–146.

参考文献

  • イアン・G・ケネディー『ティツィアーノ』、Taschen(2009年)
  • Brown, David Alan (ed), Bellini, Giorgione, Titian, and the Renaissance of Venetian Painting, 2006, National Gallery of Art, Washington / Yale
  • Freedburg, Sidney Joseph. Painting in Italy, 1500–1600, 3rd edn. 1993, Yale, ISBN 0300055870
  • Hale, Sheila, Titian, His Life, 2012, Harper Press, ISBN 978-0-00717582-6
  • Jaffé, David (ed), Titian, The National Gallery Company/Yale, London 2003, ISBN 1 857099036

外部リンク

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  • 美術史美術館公式サイト, ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ジプシーの聖母』
世俗画
肖像画
宗教画
  • 聖母子とパドヴァの聖アントニウス、聖ロクス』(1508年頃)
  • 『十字架を担うキリスト』(1510年頃)
  • 聖家族と羊飼い』(1510年頃)
  • 新生児の奇蹟』(1511年)
  • 『ジプシーの聖母』(1511年頃)
  • 『キリストの洗礼』(1511年-1512年頃)
  • 『大天使ラファエルとトビアス』(1512年-1514年頃)
  • 『ノリ・メ・タンゲレ』(1514年頃)
  • サクランボの聖母』(1515年)
  • 『貢の銭』(1516年)
  • 聖母子と聖ドロテア、聖ゲオルギウス』(1516年–1518年頃)
  • 『聖母被昇天』(1516年–1518年頃)
  • 『受胎告知(トレヴィーゾ大聖堂)』(1520年頃)
  • 『キリストの埋葬(ルーヴル美術館)』(1520年頃)
  • アヴェロルディ家の祭壇画』(1520年–1522年)
  • ペーザロ家の祭壇画』(1519年–1526年頃)
  • 聖母子と聖カテリナと羊飼い』(1530年頃)
  • 『アルドブランディーニの聖母』(1532年頃)
  • 『悔悛するマグダラのマリア(パラティーナ美術館)』(1533年頃)
  • 『受胎告知(サン・ロッコ大同信会)』(1535年頃)
  • 『聖母の神殿奉献』(1534年-1538年頃)
  • シャッラの聖母』(1540年年頃)
  • 『洗礼者聖ヨハネ』(1540年-1542年頃)
  • 『荊冠のキリスト(ルーヴル美術館)』(1542年-1543年)
  • 『この人を見よ(ウィーン)』(1543年)
  • 『悔悛するマグダラのマリア(カポディモンテ美術館)』(1550年頃)
  • 『アダムとイヴ』(1550年頃)
  • 『ラ・グロリア(聖三位一体の礼拝)』(1551年-1554年)
  • 『聖ラウレンティウスの殉教』(1548年-1559年頃)
  • 『キリストの埋葬(プラド美術館)』(1559年)
  • 『ゲツセマネの祈り』(1558年-1562年頃)
  • 『受胎告知(サン・サルバドール教会)』(1559年-1564年頃)
  • アルベルティーニの聖母』(1560年–1565年頃)
  • 『悔悛するマグダラのマリア(エルミタージュ美術館)』(1565年頃)
  • 『聖マルガリタ』(1565年頃)
  • 『祝福するキリスト』(1570年頃)
  • 『荊冠のキリスト(ミュンヘン)』(1570年頃)
  • 『聖セバスティアヌス』(1570年-1572年)
  • スペインによって救済される宗教』(1572年-1575年)
  • 『ピエタ』(1575年-1576年)
関連項目
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