ベアトリス・デ・ポルトゥガル (カスティーリャ王妃)
ベアトリス・デ・ポルトゥガル Beatriz de Portugal | |
---|---|
ポルトガル女王 (異説あり) | |
トーロのサンクティ・スピリトゥス修道院にあるベアトリスの棺 | |
在位 | 1383年10月22日 - 1385年(異説あり) |
カスティーリャ王妃 | |
在位 | 1383年5月17日 - 1390年10月9日 |
出生 | 1373年2月 ポルトガル王国、コインブラ |
死去 | 1420年頃 カスティーリャ王国、マドリガル |
埋葬 | カスティーリャ王国、トーロ、サンクティ・スピリトゥス修道院 |
配偶者 | フアン1世 |
子女 | ミゲル |
家名 | ブルゴーニュ家(ボルゴーニャ家) |
王朝 | ブルゴーニュ王朝(ボルゴーニャ王朝) |
父親 | フェルナンド1世 |
母親 | レオノール・テレス(英語版) |
宗教 | ローマ・カトリック |
テンプレートを表示 |
ベアトリス・デ・ポルトゥガル(Beatriz de Portugal, 1373年2月 - 1420年頃)は、カスティーリャ王フアン1世の2度目の王妃。ポルトガル女王(在位:1383年 - 1385年)となるが、叔父であるアヴィス騎士団総長ジョアン(のちのジョアン1世)と王位を巡って争い、敗北した。
生涯
ポルトガル王フェルナンド1世と王妃レオノール・テレス(英語版)の長女として、コインブラで生まれた。弟たちが次々と夭折したため、フェルナンドの後継者に指名された。貴族たちの中には、レオノールの身持ちの悪さから、ベアトリス王女の父親は王ではないのではないかという声が囁かれていた。
1383年にフェルナンドが重態となると、ベアトリスの摂政として実権を握ったレオノールは、前年に最初の王妃レオノール・デ・アラゴンと死別したカスティーリャ王フアン1世に、ベアトリス王女との結婚とポルトガル王位の譲渡を持ちかけた。愛人アンデイロ伯爵と結託して国政を牛耳るレオノールは、カスティーリャ王を取り込むことで自らの実権の強化を図ったのである。ポルトガル王位に釣られたフアン1世はこの案に同意し、1383年5月17日にエルヴァス(現在のポルトガル・アレンテージョ地方ポルタレグレ県の町)で11歳のベアトリスと結婚した。翌1384年にわずか12歳で、ミゲル王子を出産した(1384年 - 1385年)。
フェルナンド王は同年10月に崩御した。王太后レオノールは、義理の息子フアン1世とベアトリス女王の摂政となった。しかし、外国人に実権を売る事態にポルトガル国民と貴族たちは怒り、アヴィス騎士団団長でフェルナンド王の庶弟にあたるジョアンが圧倒的支持を得て反乱を起こした。
1384年にフアン1世は、ベアトリスとの間に生まれたミゲル王子こそ正当な王位継承者だとして、ポルトガルに侵攻した。翌1385年、カスティーリャ軍はアルジュバロータの戦いで大敗北を喫し、2年余り続いた戦争が終結した。ジョアンはアヴィス王朝初代の王として即位し、ベアトリスはジョアンを王として認めて自らは退位した。
ベアトリスはミゲル以外に子供が生まれず、1408年にマドリガルで没し、トーロ(現在のスペイン・サモーラ県の自治体)に葬られた。
1383年から1385年はポルトガル空位時代(英語版)として知られるが、ベアトリスが短期間でもポルトガル女王を称したことからポルトガル君主の一覧に名前が加えられることもある。
ポルトガル国王(1383年 - 1385年) | |
---|---|
ボルゴーニャ家 | アフォンソ1世1139-1185 / サンシュ1世1185-1211 / アフォンソ2世1211-1223 / サンシュ2世1223-1248 / アフォンソ3世1248-1279 / ディニス1世1279-1325 / アフォンソ4世1325-1357 / ペドロ1世1357-1367 / フェルナンド1世1367-1383 / ベアトリス(異説あり)1383-1385 |
アヴィス家 | ジョアン1世1385-1433 / ドゥアルテ1世1433-1438 / アフォンソ5世1438-1481 / ジョアン2世1481-1495 |
アヴィス=ベージャ家 | マヌエル1世1495-1521 / ジョアン3世1521-1557 / セバスティアン1世1557-1578 / エンリケ1世1578-1580 |
アブスブルゴ家 | フィリペ1世1580-1598 / フィリペ2世1598-1621 / フィリペ3世1621-1640 |
ブラガンサ家 | ジョアン4世1640-1656 / アフォンソ6世1656-1683 / ペドロ2世1683-1706 / ジョアン5世1706-1750 / ジョゼ1世1750-1777 / マリア1世1777-1816 / ペドロ3世(共同王)1777-1786 / ジョアン6世1816-1826 / ペドロ4世1826 / マリア2世1826-1828 / ミゲル1世1828-1834 / マリア2世1834-1853 / フェルナンド2世(共同王)1837-1853 |
ブラガンサ=コブルゴ家 | ペドロ5世1853-1861 / ルイス1世1861-1889 / カルロス1世1889-1908 / ルイス・フィリペ(異説あり)1908 / マヌエル2世1908-1910 |
|