メイト (ソマリランド)
メイト | |
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町 | |
Maydh | |
イサック氏族の祖であるシェイハ・イサック(英語版)の墓 / メイトの港 | |
メイト メイト | |
座標:北緯11度00分18秒 東経47度06分36秒 / 北緯11.00500度 東経47.11000度 / 11.00500; 47.11000座標: 北緯11度00分18秒 東経47度06分36秒 / 北緯11.00500度 東経47.11000度 / 11.00500; 47.11000 | |
国 | ソマリランド |
地域 | サナーグ地域 |
地区 | メイト地区またはエリガボ地区 |
等時帯 | UTC+3 (EAT) |
メイト (Maydh, Mait, Meit) はソマリランドのサナーグ地域にある古い港町。
歴史
古代
メイトからヘイス(英語版)にかけての海岸には、紀元前2000年から1500年のものとみられる巨石遺跡がいくつも残されている[1]。
オーガスタス・ヘンリー・キーン(英語版)の1920年の著書によれば、メイトはソマリ人の発祥の地の一つだった。当時の調査によれば、ソマリ人は自分たちの神話的な祖先がこの地区に埋葬されていると信じていた[2]。
中世
メイト市は、現在のソマリランドの主要氏族であるイサックの祖先、イサック・ビン・アフメド(英語版)が12世紀か13世紀にアラビア半島から渡ってきて住んだ地とされている。この地にはイサック・ビン・アフメドの墓がある[3]。このような遺跡はソマリランド各地にあるが、現時点では調査が不十分である[4]。
15世紀のアラブの探検家イブン・マージドが、メイトを含むソマリア北岸各地の記述を残している[5]。
ポルトガルの航海士、ドゥアルテ・バルボサ(英語版)は16世紀の著作でソマリア沿岸の報告をしており、メイト(Met)については畜産は盛んであるが交易は少ないと記している。このことから、当時のメイトが礼拝地の一つであったと考えられる[6]。
近代
19世紀の終わり、メイトは近隣の地区と合わせてイギリスの保護領(イギリス領ソマリランド)となった。メイトはイサック氏族のハバル・ガーハジス(英語版)(ハバル・ユーニス(英語版))支族の拠点の一つであり、彼らはメイトの南の山で乳香を得ていた。メイトはアラブ人やグジャラート人(英語版)に大型皮革を輸出するための拠点であり、その量は15000枚以上で、近隣のヘイス(英語版)に次いで第2位だった[7]。メイトは西のベルベラとも交易をしており、ダウ船を使って家畜などを取引していた[8]
現代
1993年、アメリカとソマリアの主要軍閥の戦闘となり(モガディシュの戦闘)、メイトとラス・コレーにアメリカ軍が上陸している[9]。
アメリカ合衆国国務省の報告書によれば、2008年4月5日、メイト地区で人身売買したとして、7人の業者が逮捕された[10]。
2013年、イギリスで、メイトとベルベラに漁場を作り、マグロ、アカザエビ、イカ、エビ、サメなどを取る事業を起こすことが計画されている[11]。
2020年、イギリス、オランダ、ノルウェーによるミッションで、メイトに導流堤(英語版)を作ると発表され、建設が進んでいる[12]。この堤が完成すれば、メイト、近隣のヘイス(英語版)などに先行投資された冷蔵設備の活用も期待されている[13]。
参考文献
- ^ Sada Mire (2015年4月14日). “Mapping the Archaeology of Somaliland: Religion, Art, Script, Time, Urbanism, Trade and Empire”. 2020年5月11日閲覧。
- ^ A.H. Keane, Man, Past and Present, (Cambridge University Press: 1920), p.485.
- ^ I.M. Lewis, "The Somali Conquest of the Horn of Africa", Journal of African History, 1 (1960), pp. 219-220
- ^ Michael Hodd, East African Handbook, (Trade & Travel Publications: 1994), p.640.
- ^ “Ibn Majid”. Medieval Science, Technology, and Medicine: An Encyclopedia. Routledge. (2005). ISBN 978-1-135-45932-1. https://books.google.com/books?id=77y2AgAAQBAJ&pg=PA252
- ^ Barbosa, Duarte (1866) (英語). A Description of the Coasts of East Africa and Malabar in the Beginning of the Sixteenth Century (translated). Hakluyt Society. pp. 17
- ^ Pankhurst, Richard (1965). “The Trade of the Gulf of Aden Ports of Africa in the Early Nineteenth and Early Twentieth Centuries”. Journal of Ethiopian Studies 3 (1): 36–81. JSTOR 41965718. https://www.jstor.org/stable/41965718.
- ^ Great Britain, House of Commons (1905). Sessional papers Inventory control record 1, Volume 92. HM Stationery Office. p. 391
- ^ “Somaliland Accuses US Of Violating Airspace”. Arab News. (2005年5月7日). https://www.arabnews.com/node/266514 2021年5月10日閲覧。
- ^ UK Border Agency (2009年11月13日). “COUNTRY OF ORIGIN INFORMATION REPORT SOMALIA 2009”. 2021年5月9日閲覧。
- ^ “Maydh and Berbera fisheries business launched at East London”. Guul Group. (2013年7月21日). http://guulgroup.com/news/maydh-and-berbera-fisheries-business-launched-at-east-london/ 2021年5月10日閲覧。
- ^ UK, Gov (5 July 2020). “UK, Denmark and Netherlands approve agreements with Somaliland Government on critical infrastructure to improve people's lives”. https://www.gov.uk/government/news/uk-denmark-and-netherlands-approve-agreements-with-somaliland-government-on-critical-infrastructure-to-improve-peoples-lives
- ^ Horn Diplomat (2020年8月13日). “Somaliland:Contract Signature Event for the Maydh Jetty Construction Project in Erigavo”. 2021年5月10日閲覧。