三國第一山新倉富士浅間神社
三國第一山新倉富士浅間神社 | |
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![]() 忠霊塔 ![]() | |
所在地 | 山梨県富士吉田市浅間2-4-1 |
位置 | 北緯35度30分01.4秒 東経138度48分00.5秒 / 北緯35.500389度 東経138.800139度 / 35.500389; 138.800139 (三國第一山新倉富士浅間神社)座標: 北緯35度30分01.4秒 東経138度48分00.5秒 / 北緯35.500389度 東経138.800139度 / 35.500389; 138.800139 (三國第一山新倉富士浅間神社) |
主祭神 | 木花咲耶姫命 大山祗命 瓊瓊杵尊 |
創建 | 慶雲三年(705年) |
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三國第一山新倉富士浅間神社(さんごくだいいちさんあらくらふじせんげんじんじゃ)は山梨県富士吉田市にある神社。旧社格は村社。登記上の宗教法人名称は富士浅間神社。
新倉富士浅間神社(あらくらふじせんげんじんじゃ)とも呼ばれる。
歴史
人皇第四十二代文武天皇の御代慶雲三年(西暦七〇五年)九月九日、甲斐国八代郡荒倉郷の氏神として祀られる。
第五十一代平城天皇の御代大同二年(西暦八〇七年)富士山の大噴火があり八月二十二日当社に朝廷からの勅使が参向せられ、国土安泰富士山鎮火祭を執行し、その時、平城天皇より三國第一山の称号並びに天皇の御親筆なる大鳥居勅額・金幣・破魔宝面(勅使面)を奉納された。この破魔宝面は現在、富士吉田市の郷土資料館に展示されている。[1]
- 拝殿
- 本殿。一間社入母屋造り向拝唐破風付き。郡内大工仲間による冨士山下宮型本殿。
三國第一山の勅号と御山神輿
平城天皇よりの大鳥居勅額の「三國第一山」の額字は「勅筆」と伝承されてきたと享保15年(1730)「新倉村 高反別指出明細帳」に記される。[2]
現在「吉田の火祭り」で担がれている御山神輿は、かつて新倉村から出しており、村役人、神職、氏子が総出で村を回ってから上吉田に向かい、そのまま諏訪神社の祭礼に参加した。[3]
- 平城天皇の勅筆と伝わる額
- 嘗ては、新倉村から出されていた御山神輿
新倉山浅間公園
神域は新倉山浅間公園として内外より親しまれ、多くの信仰を集めている。
戦没者慰霊の五重塔「忠霊塔」は当地のシンボルとなっており、「富士山眺望日本一」を謡っている。
祭事
六十年に一度斎行される式年大祭「御更衣祭」は神社で一週間潔斎しながら神様の御召になる衣を織り御更衣する特殊な神事がある。