仲村錦治郎
仲村錦治郎 |
仲村 錦治郎(なかむら きんじろう、1975年5月2日 - )は、日本の卓球選手。戦型は右シェイクハンドのドライブマンである。高校2年生の時にバルセロナオリンピック日本代表に選ばれて[1]、渡辺武弘とのダブルスで出場を果たした。明徳義塾中学校・高等学校から大正大学に進学、卒業後は 1990年に全国中学校卓球大会シングルス優勝、1994年に大正大学に入学、同年の関東学生新人戦でシングルス、ダブルスの2冠達成、1995年には関東学生卓球選手権シングルス優勝、1997年には関東学生卓球選手権ダブルス優勝を果たした。また関東学生リーグ戦では4年間で17連勝を含む33勝5敗の活躍を見せた[2]。大学卒業後はグランプリに所属し、松下浩二が代表を務めるヤマト卓球株式会社で開発担当として勤務、現在はVICTASで製品担当取締役を務めている[3]。
。現在までに全日本卓球選手権で30勝以上を挙げている[4]。
主な成績
- 1986年 ホープス男子シングルス優勝
- 1987年 アジアユースチャンピオンシップインドネシア大会(ケディリ)シングルス優勝
- 1989年 カデット男子シングルス、ダブルス優勝
- 1990年 全国中学校卓球大会シングルス優勝、世界選手権代表、東京選手権シングルス3位[5]
- 1991年 世界卓球選手権千葉大会(幕張メッセ)混合ダブルス出場
- 1992年 第10回アジアカップ香港大会シングルス7位[6]
- 1995年 関東学生卓球選手権シングルス優勝
- 1996年 アジアカップシンガポール大会ダブルスベスト4
- 1997年 関東学生卓球選手権ダブルス優勝[7]、全日本学生卓球選手権3位[8]、東京選手権シングルス優勝
- 1998年 アジアカップ大阪大会ダブルスベスト8
- ジャパントップ12卓球大会5位[9](1996年、1998年、1999年)
その他
- 少年時代はけん玉が得意でけん玉大会で2時間以上続けた記録を持っている[10]。
- ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャーに卓球王として登場し、芸能人が1点でも取れたら100万円という企画に参加した。その際、定岡正二の放ったボールが台のエッジにあたり、それを取りきれずに点を取られてしまう。次の回からは卓球王を伊藤繁雄に変えられて降板になった。
脚注
関連項目
外部リンク
- NAKAMURA Kinjiro - ITTFプロフィール (英語)
- 仲村錦治郎 - Olympedia(英語)
全日本卓球選手権優勝者-ジュニア男子 | |
---|---|
1950年代 |
|
1960年代 |
|
1970年代 |
|
1980年代 |
|
1990年代 | |
2000年代 | |
2010年代 | |
2020年代 | |
|
- 表示
- 編集