冨田幸宏

冨田 幸宏(とみた ゆきひろ、1957年昭和32年〉5月10日[1] - 2024年令和6年〉5月5日[2])は、日本の政治家神奈川県足柄下郡湯河原町(5期)を務めた。

来歴

湯河原町生まれ[2]神奈川県立山北高等学校卒業[1]。20歳で湯河原観光企業組合理事に就任する[1]2000年に湯河原町議会議員に初当選し、2期務める。2007年の湯河原町長選で初当選し[3]、5期務めた。在職中は廃止予定だった旧湯河原厚生年金病院(現在のJCHO湯河原病院)を旧湯河原中学校跡地へ移転し、存続させた。また、隣接の防災コミュニティセンターを含む防災拠点や湯河原駅前の整備、町内の温泉旅館再生や万葉公園再整備に力を尽くした[4]。ほか神奈川県町村会会長、関東町村会会長を務めた[1]

2023年4月の町長選挙では元町議の土屋由希子を破り、5回目の当選を果たした[5]。しかし、5回目の当選後に血液がんの一種の骨髄異形成症候群と診断され、8月に入院し、造血幹細胞移植の治療を受けた。退院後も自宅療養を続け、2024年2月に公務に復帰した。3月下旬からは移植された細胞が患者の体を異物と認識して攻撃する移植片対宿主病(GVHD)の症状が出始めたため、再び検査入院していた。5月5日、入院先の病院で死去した。死因は不明[2]。叙従五位旭日小綬章追贈[6]

冨田の通夜は5月14日に、告別式は15日に湯河原町民体育館で冨田家と湯河原町合同で執り行われた。記帳所は5月15日まで湯河原町役場と町立図書館に設置された[7]

6月の町長選挙には、元町職員の内藤喜文と元町議の土屋由希子の2人が立候補し、内藤が当選した[8][9]

このほか湯河原町商工会青年部長、第一分団分団長などを歴任した[1]

その他

2015年4月21日、湯河原町内の民家で火災が発生した。冨田は火災の一報を受け、いち早く現場へ駆けつけ、住人の安否確認のため玄関を蹴破るなどして中に入った[4]。焼け跡から刺殺体が発見され、遺体はこの家に住む66歳の女性と判明した。この事件の犯人は逮捕されていないため、未解決事件のままである[10]

脚注

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  1. ^ a b c d e プロフィール経歴:冨田宏幸後援会ホームページ
  2. ^ a b c “冨田幸宏・湯河原町長が死去、66歳 5選後に病気、療養経て公務復帰も”. カナロコ by 神奈川新聞 (2024年5月6日). 2024年6月24日閲覧。
  3. ^ 湯河原町長選挙‐2007年04月22日投票|神奈川県湯河原町|選挙ドットコム2024年6月24日閲覧。
  4. ^ a b “冨田町長が死去 湯河原町、がん闘病”. 東京新聞 (2024年5月7日). 2024年6月24日閲覧。
  5. ^ 湯河原町長選挙‐2023年04月23日投票|神奈川県湯河原町|選挙ドットコム2024年6月24日閲覧。
  6. ^ 『官報』第1239号、令和6年6月10日
  7. ^ “湯河原町 冨田幸宏町長が死去 5月14日通夜、15日告別式”. タウンニュース (2024年5月11日). 2024年6月24日閲覧。
  8. ^ “湯河原町長に前町職員の内藤喜文氏が初当選 町政の継続を訴え”. 朝日新聞デジタル (2024年6月24日). 2024年6月26日閲覧。
  9. ^ 湯河原町長選挙‐2024年06月23日投票|神奈川県湯河原町|選挙ドットコム2024年6月25日閲覧。
  10. ^ “湯河原 女性放火殺人から9年 「解決する信念を持ち捜査」警察が情報提供を呼びかけ”. テレ朝news. 2024年6月24日閲覧。
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