労働組合映画協議会

労働組合映画協議会(ろうどうくみあいえいがきょうぎかい)は、かつて存在した映画製作のための協議体。

概要

戦後の労働運動の隆盛を背景に製作・上映活動を展開。労働組合員の啓蒙教育のための映画の企画・製作などが主な目的。略称=「労映」。機関紙として「働く者の映画」を発刊した。

1946年6月に労働組合映画委員会として成立。同年8月に労働組合映画協議会に改称された[1]

1946年11月には、第1回作品を完成させた。

1950年10月、坂齋小一郎が中心となり、共同映画社に発展した[2]

主な作品

国鉄労働組合日本教職員組合など、40数労組が参加した[2]とされ、『驀進』を第1回作品として、1946年から1950年にかけて、労働組合の企画による映画作品を生み出した。

原節子主演映画『白雪先生と子供たち』(1950年、大映=労働組合映画協議会提携製作)の一場面

  1. ^ 第4回労働映画上映会資料 鉄道、映画、労働運動 2009年7月11日早稲田大学にて(文責 佐藤洋)による。1947年6月結成説もあるが、第1回作品が1946年11月に完成しているため、この説を採用。
  2. ^ a b 共同映画会社概要
  3. ^ 第3回戦後初期労働映画上映会
  4. ^ 白雪先生と子供たち - MOVIE WALKER PRESS
  5. ^ ショートフィルム再考−映画館の外の映像メディア史から 吉原順平 Ⅲ 占領下の民主化と短編映像——文化映画から新しい教育映画へ(承前) 3 戦後労働運動と短編映画業界