勝虞

勝虞(しょうぐ、天平4年(732年)- 弘仁2年6月6日(811年6月29日))は、奈良時代から平安時代初期にかけての法相宗。名を勝悟と表記される場合もある[1]。俗性は凡氏。阿波国板野郡の出身。

神叡の入室弟子である尊応に師事。当時、法相宗随一の学僧と評された。弟子に護命、泰演などの高僧がいる。

経歴

  • 延暦16年(797年)、律師に任ぜられる。
  • 延暦24年(805年)、少僧都に任ぜられる。
  • 大同元年(806年)、大僧都に任ぜられる。
  • 弘仁2年(811年)6月6日、入滅。享年80。

脚注

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  1. ^ 日本後紀』弘仁2年6月6日条の卒伝や『元亨釈書』は勝悟と表記。『日本後紀』のほかの箇所や『僧綱補任』は勝虞と表記。
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