天野重知

天野 重知(あまの しげのり、1909年1月1日[1] - 2003年12月30日)は、元忍草入会組合長。元忍草国有入会地守る会会長。元富士山自動車株式会社代表取締役。元忍野村村長。父親は県会議員であった。

略歴

  • 1909年 - 山梨県忍野村忍草(しぼくさ)に生まれる。
  • 1933年12月 - 富士山自動車株式会社の代表取締役に就任。
  • 1939年 - 30歳で忍野村長に就任。
  • 1947年 - 村民とともに忍草入会組合を結成。
  • 1999年 - 90歳にして忍草国有入会地守る会を結成。
  • 2003年7月 - 94歳にして忍野村長選に再び立候補を表明し、話題となる(最終的には天野康則(あまのやすのり、1942年6月6日生)が村長に選出されている)。
  • 2003年12月30日 - 肺炎のため死去[1]。享年94。

脚注

  1. ^ a b 『現代物故者事典2003~2005』(日外アソシエーツ、2006年)p.21

参考文献

  • 斑目俊一郎「北富士演習場と天野重知の夢―入会権をめぐる忍草の闘い」彩流社

関連項目

外部リンク

  • 天野重知(あまの しげのり) - コトバンク
  • 天野重知(アマノ シゲノリ) - コトバンク
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