慕容 友[1](ぼよう ゆう、生年不詳 - 362年)は、五胡十六国時代の前燕の人物。昌黎郡棘城県の出身。前燕の燕王慕容皝の子。
生涯
348年11月[2]、燕王慕容皝が亡くなり、慕容儁が後を継いで、燕王に即位した。慕容友は左賢王に封じられた。
354年4月、范陽王に封じられた。
征東将軍・冀州刺史に任じられた。
362年6月[3]、信都で征東参軍劉抜に刺殺された。
家系
父
兄弟
姉妹
- 慕容氏 - 代王拓跋什翼犍にとついだ
- 慕容氏 - 夫余王余玄にとついだ
- 新城公主 - 蘭審にとついだ
脚注
- ^ 『資治通鑑』では、慕容交と記されている。
- ^ 『十六国春秋』巻26では、349年1月と記されている。
- ^ 『十六国春秋』巻28では、362年7月と記されている。
参考文献