日本のタタール人は、日本に一定期間在住するタタール人やその子孫である。日本に帰化や亡命した人、およびその子孫のことをタタール系日本人と呼ぶ。600人から2000人という推計人口があるが、国籍はロシアとトルコを中心に多岐に渡っておりタタール人としての統計調査は無く正確な数は不明である。
概要
20世紀初頭、ロシア革命を契機におよそ600人のタタール人やバシキール人がロシアのタタールスタンのカザンやバシコルトスタンから日本へ移住したとされ、日本各地にコミュニティを形成していた。特に神戸には多くのタタール人が暮らしており、1935年には神戸において日本で最初となる最初のモスクと学校、1938年には東京において東京回教学院(現・東京ジャーミイ)が在日タタール人によって設立された。移住者の大多数は離散しなかったことから、来日後も自らの言語や文化を保持し続けた。1950年代になって、彼らにトルコ国籍が付与されることとなり、戦後の混乱の影響もあって、徐々にトルコへ渡るようになりタタール人は減少した。しかし、そのまま日本へ住み続け、帰化した人もいた。現在、東京におけるタタール人の子孫は60人ほどとされる[2]。
歴史
著名な人物
関連項目
脚注
- ^ Представитель культурной ассоциации «Идель-Урал» считал, что количество татар в Японии в 1930-е годы могло достигать 10000 человек (ロシア語)
- ^ モスクを建てた亡命タタール人