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| 木村 憲治 Kenji Kimura
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基本情報 |
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国籍 | 日本 |
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生年月日 | (1945-07-19) 1945年7月19日(79歳) |
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出身地 | 東京都世田谷区 |
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ラテン文字 | Kenji Kimura |
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身長 | 185cm |
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体重 | 88kg |
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血液型 | A型 |
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選手情報 |
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愛称 | デッカン |
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ポジション | センター、ライト[1] |
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利き手 | 右 |
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木村 憲治(きむら けんじ、1945年7月19日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。第10代日本バレーボール協会会長[2]、日本バレーボールリーグ機構元代表理事会長[3]。
経歴・人物
東京都世田谷区出身。目黒区立第十一中学校においてはエースアタッカーとして活躍し、東京都立目黒高等学校を経て、中央大学に進学。1967年のユニバーシアード東京大会に出場し[4]、金メダル獲得に貢献。1968年に日本リーグの松下電器に入部。
1968年にバレーボール日本男子代表(全日本)に選出される。代表選手としてラトビア遠征で試合に出場した際に自分のスパイクが4本連続で相手のブロックに止められたため、交代させられた。その時に監督の松平康隆から「お前は(世界の中では)背が低いことが判ったか。もう(代表には)いらないぞ」と言われた。木村自身の身長はその当時、185cm近くあったのだが世界では小さい部類に入ることを思い知られた上、松平の言葉にショックを受けた。そして代表生き残りをかけて「人がやっていないことをやってやろう」という思いで必死になって新戦法を編み出した。それが「Bクイック」であったという[5]。
1972年のミュンヘンオリンピックでは金メダル獲得に貢献した。現役引退後は、松下電器のコーチ、監督、総監督を歴任。松下電器産業本社では特品マーケティング本部長を務め、製品市場調査の責任者でもあった。
出身チームのパンサーズジュニアチームのゼネラルマネージャーを務めた[6]。
2010年から2015年にかけて日本バレーボールリーグ機構の代表理事会長を務め、2015年6月から2017年6月にかけて第10代日本バレーボール協会会長を務めた。[2]。
球歴
受賞歴
- 1968年度 - 第2回日本リーグ 敢闘賞、ベスト6
- 1969年度 - 第3回日本リーグ ベスト6
- 1970年度 - 第4回日本リーグ ベスト6、レシーブ賞
- 1971年度 - 第5回日本リーグ ベスト6、レシーブ賞
- 1972年度 - 第6回日本リーグ ベスト6
脚注
- ^ 【あの時・男子バレーの奇跡】(1)「あと2時間コートに立っていろ」 Archived 2016年7月12日, at the Wayback Machine. - あの時:スポーツ報知、2016年6月7日(jpg)
- ^ a b バレー協会、新会長に木村憲治氏「目標は赤字解消」 朝日新聞 2015年6月23日閲覧
- ^ Vリーグ機構. “2011/12Vリーグ開幕あいさつ”. 2012年9月5日閲覧。
- ^ 日本バレーボール協会50年史 361ページ
- ^ “めぐろ同窓会会報 No.46” (PDF). 東京都立目黒高等学校同窓会. pp. 3-5 (2020年9月1日). 2021年11月15日閲覧。
- ^ TEAM STAFF パナソニック・パンサーズジュニア(Internet archive)
関連項目
外部リンク
日本リーグ男子敢闘賞 |
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日本リーグ | |
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Vリーグ | |
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V・プレミア リーグ | |
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V.LEAGUE DIVISION1 | |
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バレーボール全日本男子 |
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バレーボール全日本男子 - 1965 ワールドカップ |
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バレーボール全日本男子 - 1966 世界選手権 |
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バレーボール全日本男子 - 1969 ワールドカップ 2 |
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バレーボール全日本男子 - 1970 世界選手権 3 |
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バレーボール全日本男子 - 1974 世界選手権 3 |
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- 平沼亮三 1928 - 1942
- 佐々木道雄 1943 - 1947
- 西川政一 1948 - 1976
- 伊木正二 1978 - 1989
- 松平康隆1989 - 1995
- 村井勉 1995 - 2003
- 立木正夫 2003 - 2011
- 中野泰三郎 2011 - 2013
- 羽牟裕一郎 2013 - 2015
- 木村憲治 2015 - 2017
- 嶋岡健治 2017 - 2022
- 川合俊一 2022 -
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