板倉 勝敬(いたくら かつたか)は、江戸時代後期の備中国庭瀬藩の世嗣。
第7代藩主・板倉勝資の長男として誕生。正室は九鬼隆都の娘。
父の跡を継いだ叔父で第8代藩主・板倉勝貞の養子となる。しかし、家督相続前の弘化2年(1845年)に、24歳で死去した。
代わって陸奥国磐城平藩から勝成が養子に迎えられ、嫡子となった。