江口朴郎
人物情報 | |
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生誕 | (1911-03-19) 1911年3月19日![]() |
死没 | 1989年3月15日(1989-03-15)(77歳没) |
出身校 | 東京大学 |
学問 | |
研究分野 | 西洋史 |
研究機関 | 東京大学 |
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江口 朴郎(えぐち ぼくろう、1911年3月19日 - 1989年3月15日)は、日本の西洋史研究者。東京大学名誉教授。元日本学術会議会員、元歴史学研究会委員長。
経歴
1911年、佐賀県生まれ。少年時代から神奈川県藤沢町(鵠沼(現・藤沢市鵠沼桜が岡1丁目)に在住。湘南中学校、第一高等学校を経て、1933年東京帝国大学文学部西洋史学科卒業[1]。同大学院に進んだ。
卒業後は、1934年より外務省に嘱託として勤務。1941年、姫路高等学校教授に就いた[2]。
戦後は鵠沼(現鵠沼橘2丁目)に帰り、1947年に第一高等学校教授となった。この頃、母校の湘南高校の生徒であった江藤淳、石原慎太郎[3]、葉山峻らが出入りしていた。1953年に東京大学教授となった。1971年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は法政大学教授、津田塾大学教授を務めた。学界では、歴史学研究会委員長、日本学術会議委員、国際関係研究所長。
1989年に死去。墓所は鵠沼万福寺にある。
研究内容・業績
専門は西洋史で、数多くの著書を著し、歴史学の叢書・全集の編纂も手がけた。戦後のマルクス主義史学の重鎮であり、帝国主義論に基づいて現代世界をとらえた。原水爆禁止日本協議会代表委員をはじめ、平和運動・社会運動にも積極的に関わり、いわゆる行動派知識人の代表格であった。レーニンに関する著作も残している。
- 江口朴郎文庫
没後膨大な蔵書は藤沢市に寄贈され、として藤沢市湘南大庭市民図書館で保管・公開されている[4][5]。藤沢市総合市民図書館より『江口朴郎文庫目録』(1996)が出されている。
家族・親族
- 妻:久子は海軍士官古賀七三郎の娘で、江藤淳の従姉に当たる。
著作
- 単著
- 共著
- 『国際関係の史的分析』(高橋幸八郎・林健太郎、御茶の水書房) 1949年
- 『現代』(世界の歴史 5)(村瀨興雄・服部之總、毎日新聞社) 1950年
- 『西洋史』(秀村欣二、世界書院) 1951年
- 『危機としての現代 - 歴史学者の対話』(井上幸治・三省堂新書) 1971年
- 『世界史における1930年代:現代史シンポジウム』(荒井信一・藤原彰、青木書店) 1971年
- 『進歩と革命の思想:西洋編』(本田喜代治・浜林正夫、新日本出版社) 1972年
- 『近代日本における歴史学の発達』(野原四郎・松本新八郎、青木書店) 1976年
- 『転換期の世界』(岡倉古志郎・遠山茂樹、三省堂) 1978年
- 『交感するリビア - 中東と日本を結ぶ』(板垣雄三、藤原書店) 1990年
- 編著
- 『帝国主義と現代』東京創元社 1959年
- 『第一次大戦後の世界』(世界の歴史 14) 中央公論社 1962年
- 中公文庫 1975年
- 『レーニン』(世界の名著 52) 中央公論社 1966年
- 『ロシア革命の研究』中央公論社 1968年
- 『両大戦間の国際政治とアジア・アフリカ』アジア経済研究所 1973年
- 『現代世界と民族』(民族の世界史 15) 山川出版社 1987年
関連書籍
- 『それでも地球は動:旧制姫高の教え子達がつづる江口朴郎先生追悼文集』旧制姫路高校江口朴郎先生追悼文集刊行委員会 1990年
- 『思索する歴史家・江口朴郎:人と学問』斉藤孝ほか 青木書店 1991
脚注
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関連項目
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