泰西学館(たいせいがっかん)は、明治時代のキリスト教系の私立男子中学校である。
明治19年(1886年)9月1日に大阪市北区中之島4丁目に普通科男子中学として設立された。日本組合基督教会大阪教会が運営に責任を持った。初代館長に宮川経輝が就任する。
当初、宮川経輝と安藤乙三郎が運営したが、自主独立が理念であるために、経営が安定せずに、明治22年(1889年)には校舎建設の負債で苦しんだ。明治25年(1892年)内村鑑三を教員として招聘する。その頃経営が破綻する。
1895年に初代館長宮川経輝が辞任する。1897年には財産分与の問題で内紛が発生する。翌年、1898年2月に吉岡哲夫が2代目館長に就任し、キリスト教教育を廃止して経営が継続される。現在は、大阪商業大学として経営されている。
教師
- 内村鑑三 - 教頭として1892年9月から1893年5月まで勤務[1]
出身者
参考文献
- 鈴木範久『内村鑑三』岩波書店、1983年。
- 茂義樹「泰西学館」『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年。
- 田﨑公司 『泰西学館に関する一考察 -谷岡学園・大阪商業大学一二〇年の地下水脈-』(PDF) 大阪商業大学商業史博物館紀要 / 大阪商業大学商業史博物館編 2002年12月。
脚注
- ^ 政尾藤吉伝補遺香川孝三、Journal of International Cooperation Studies, Vol.15, No.1(2007.7)