渡邊敏夫
この項目では、天文学者の渡邊敏夫について説明しています。野球選手については「渡辺敏夫」をご覧ください。 |
渡邊 敏夫(わたなべ としお、1905年6月24日[1] - 1998年11月6日)は、日本の天文学者、東京商船大学名誉教授。
愛知県名古屋市出身[1]。1925年3月10日第八高等学校理科甲類を卒業[2]、1928年3月30日京都帝国大学理学部宇宙物理専攻学士試験合格[3]、同年4月1日変光星の研究のため京都帝国大学大学院入学[4]後、1933年1月24日京都帝国大学理学部講師嘱託[5]。1955年「古代日食から導いたブラウンの太陰要素の改訂」で京都大学理学博士。
1944年3月2日清水高等商船学校教授[6]、1950年商船大学教授、1957年東京商船大学教授、1969年定年退官、名誉教授。1969年京都産業大学教授、1979年退職[1]。1998年11月6日、肺炎のため死去[1]、同日付で叙正四位[7]。
著書
- 『暦』恒星社 1937
- 『天文暦学史上における間重富とその一家』山口書店 1943 自然科学史叢書
- 『暦の話』増進堂 1944
- 『暦のなりたち 少年少女のために』朝日新聞社 1949
- 『数理天文学』恒星社厚生閣 1951
- 『こよみと天文』恒星社厚生閣・中学天文教室 1952
- 『日本の暦』雄山閣 1976
- 『日本・朝鮮・中国日食月食宝典』雄山閣出版 1979
- 『暦のすべて その歴史と文化』雄山閣出版 1980
- 『近世日本科学史と麻田剛立』雄山閣 1983
- 『近世日本天文学史』恒星社厚生閣 1986-1987
- 『暦入門 暦のすべて』雄山閣出版 1994
- その他
- 安岡正篤『光明蔵』註釈 金雞学院 1929