猿払駅

猿払駅
さるふつ
Sarufutsu
浅茅野 (6.2 km)
(4.8 km) 芦野
所在地 北海道宗谷郡猿払村字猿払
北緯45度15分55秒 東経142度11分29秒 / 北緯45.26528度 東経142.19139度 / 45.26528; 142.19139
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 82.9 km(音威子府起点)
電報略号 サフ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1920年大正9年)11月1日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日[1]
備考 天北線廃線に伴い廃駅
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1977年の猿払駅と周囲約500m範囲。上が南稚内方面。相対式ホーム2面2線、駅裏に副本線、駅舎横の浜頓別側に貨物ホームと引込み線をもつ。貨物ホーム側に木材が野積みされているが、駅裏のストックヤードは使用されていない。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

猿払駅(さるふつえき)は、北海道宗谷支庁宗谷郡猿払村字猿払にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線廃駅)である。電報略号はサフ事務管理コードは▲121911[2]

歴史

  • 1920年(大正9年)11月1日 - 鉄道省宗谷本線の浅茅野駅 - 鬼志別駅間の延伸開通に伴い、開業[1]一般駅[1]
  • 1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から分割し路線名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる。
  • 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
  • 1961年(昭和36年)4月1日 - 路線名を天北線に改称、それに伴い同線の駅となる。
  • 1982年(昭和57年)6月1日 - 貨物の取り扱いを廃止[1]
  • 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取り扱いを廃止[1]
  • 1986年(昭和61年)11月1日 - 交換設備の運用を取りやめ、同時に無人駅化[3]
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]
  • 1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]

駅名の由来

猿払村」も参照

駅構造

廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の東側(南稚内方面に向かって右手側、旧1番線)に存在した。かつては、単式ホーム・島式ホーム(片面使用)を複合した計2面2線のホームと線路を有する、列車交換が可能な交換駅であった[4]。互いのホームは、駅舎側ホーム中央と島式ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡した[4]。駅舎側(東側)が上りの1番線、島式ホーム(西側)が下りの2番線となっていた。島式ホームの外側に1線を側線として有しており、その他1番線の音威子府方から分岐し駅舎南側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[4]

無人駅となっていたが、有人駅時代の木造駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置し、ホーム中央部分に接していた。

利用状況

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1978年(昭和53年) 60 [5]
1981年(昭和56年) (21.0) [4] 1日当たりの乗降客数は41人

駅周辺

村名と同名の駅であったが、村の中心部には位置しておらず、急行「天北」は通過していた(村内の「天北」停車駅は、鬼志別駅だった)。周囲は酪農地帯であった[4]

駅跡

2001年(平成13年)時点で、駅跡地には鉄道関連施設は何も残っていない[7]2010年(平成22年)時点[8]2011年(平成23年)時点でも同様であった[9]。バス待合室があるのみである。

駅名標の枠から取り外された駅名表示部分は、鬼志別駅跡に建築された「鬼志別バスターミナル」1階の天北線の資料展示室に保存・展示されている[9]

また、周辺の線路跡は、浜頓別駅跡から当駅跡までは「北オホーツクサイクリングロード」に[7]、当駅跡から鬼志別駅跡までは北海道道1089号猿払鬼志別線にそれぞれ転用されている[8]

隣の駅

北海道旅客鉄道
天北線
浅茅野駅 - 猿払駅 - 芦野駅

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、906頁。ISBN 978-4-533-02980-6。 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236。https://doi.org/10.11501/18732362023年2月11日閲覧 
  3. ^ 「通報 ●飯田線三河川合駅ほか186駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1986年10月30日、12面。
  4. ^ a b c d e f g 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、190頁。ISBN 978-4093951012。 
  5. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、894頁。doi:10.11501/12065814。https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  6. ^ a b 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、17頁。 
  7. ^ a b 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVIII』JTBパブリッシングJTBキャンブックス〉、2001年7月、42頁。ISBN 978-4533039072。 
  8. ^ a b 今尾恵介 編『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年3月、18頁。ISBN 978-4533078583。 
  9. ^ a b 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、250-251頁。ISBN 978-4894536128。 

関連項目