獅子ヶ鼻砦

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獅子ヶ鼻砦
静岡県
城郭構造 平山城
築城主 徳川家康
築城年 1580年天正8年)
主な城主 大須賀康高
廃城年 1581年(天正9年)
指定文化財 史跡等未指定[1]
登録文化財 未登録
位置 北緯34度41分43.7秒 東経138度04分16.1秒 / 北緯34.695472度 東経138.071139度 / 34.695472; 138.071139
地図
獅子ヶ鼻砦の位置(静岡県内)
獅子ヶ鼻砦
獅子ヶ鼻砦
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獅子ヶ鼻砦(ししがはなとりで、英語: Fort Shishigahana)は、静岡県菊川市大石(遠江国城東郡大石村)にあった日本の城[2][3]。現在は城跡が残る。高天神城を包囲するために築かれた「高天神六砦」の一つである[2]

概要

地図
高天神城と六砦の位置関係
1.小笠山砦2.能ヶ坂砦3.火ヶ峰砦4.獅子ヶ鼻砦、5.中村砦6.三井山砦7.高天神城
獅子ヶ鼻砦を統轄した大須賀康高(伝狩野永納筆『德川二十將図』)

遠江国城東郡の大石村に立地する[注釈 1]高天神城より東に3キロメートルほど離れており[2]半島のような形状で突き出している台地の端に位置している[2]

1580年天正8年)、武田勝頼方の高天神城を攻略するために、徳川家康により獅子ヶ鼻砦が築城された[3]。この獅子ヶ鼻砦は、小笠山砦能ヶ坂砦火ヶ峰砦中村砦三井山砦とともに「高天神六砦」と称された[2]。築城後は、家康に任じられた大須賀康高がこの砦を管轄し[3]、高天神城への兵糧弾薬の補給を遮断した[2]。その結果、高天神城の将兵は飢えに苦しみ、城に立てこもる岡部元信らは苦境に陥った。第二次高天神城の戦いにより高天神城が落城すると、役割を終えたこの砦も廃止されることになった。

その後、獅子ヶ鼻砦跡の周辺には、蓮池公園、菊川市営保養センター小菊荘、多目的グラウンド、市民農園などが整備され、近隣の住民たちの憩いの場となっている。往時を偲ばせる曲輪堀切が残存しており[2]、獅子ヶ鼻砦跡であることを示す案内板や説明板が建てられている[2]

名称

この砦は獅子ヶ鼻に位置することから、その名を取って「獅子ヶ鼻砦」と呼ばれるようになった。なお、の名前の由来は、山体が獅子のような形をしているからだという説がある。

脚注

注釈

[脚注の使い方]
  1. ^ 静岡県城東郡大石村は、1889年に静岡県城東郡西之谷村、中村の大部分、川久保村の一部と合併し、静岡県城東郡中村(のちの静岡県掛川市)となった。その後、旧大石村はさまざまな変遷を経て、静岡県小笠郡城東村(のちの静岡県掛川市)となるが、1957年に旧大石村の一部が静岡県小笠郡小笠町(のちの静岡県菊川市)に編入され、1958年にも旧大石村の一部が静岡県小笠郡小笠町に編入された。その結果、獅子ヶ鼻砦の所在地は、静岡県菊川市となっている。

出典

  1. ^ 「市内指定・登録文化財一覧」菊川市公式HP
  2. ^ a b c d e f g h 「高天神城と六砦」『静岡県掛川市 高天神城と六砦』掛川市役所2017年10月6日
  3. ^ a b c 「詳細」『獅子ヶ鼻砦跡|カテゴリーから探す|ふじのくに文化資源データベース』静岡県文化・観光部文化政策課

関連項目

外部リンク

  • 浮かび上がる包囲網 高天神城奪還作戦|家康の六砦|今、よみがえる高天神城 - 獅子ヶ鼻砦を紹介する掛川市のページ
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