畔上楳仙
畔上 楳仙(あぜがみ ばいせん、1825年8月28日(文政8年7月15日) - 1901年(明治34年)12月27日)は、日本の曹洞宗の僧侶。大本山總持寺独住2世貫首、曹洞宗第三代管長。旧姓清水。号は大岡。諡号は法雲普蓋禅師。
来歴
1825年(文政8年)、信濃国高井郡夜間瀬村(現・長野県下高井郡山ノ内町)生まれ、幼名は亀蔵。7歳で得度(出家)し、江戸・駒込の栴檀林に学ぶ。信濃・松代の長国寺覚巌、相模国(神奈川県)早川・海蔵寺月潭らに参じる。信濃の興隆寺、大林寺、長国寺、上野国前橋の竜海院、相模の最乗寺(1874年(明治7年)、独住第一世)などに歴住。1880年(明治13年)、総持寺独住2世貫首。翌1881年、曹洞宗管長。滝谷琢宗とともに『曹洞教会修証義』を編み、近代教化の基本を定めた。1883年より永平寺貫主と一年交代で管長職を務める。1889年、明治天皇より法雲普蓋禪師の称を賜る。1901年(明治34年)東京・小石川茗荷谷の林泉寺に退き、12月27日に入寂[1][2][3]。
著書に『坐禅用心記落草談』『十種疑問落草談』『信心銘拈提落草談』などがある[4]。
出典
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外部リンク
- 「畔上楳仙報恩の碑」 | 信州の文化財
- 著書 | 国立国会図書館
- CiNii>畔上楳仙
- 「畔上楳仙」 | コトバンク
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