第17回天皇杯全日本サッカー選手権大会
開催国 | ![]() |
---|---|
参加チーム数 | 4 |
優勝 | 慶應義塾大学 |
準優勝 | 神戸商業大学 |
試合総数 | 3 |
ゴール数 | 12 (1試合平均 4点) |
← 1936 1938 → | |
テンプレートを表示 |
この項目では1937年6月12日および13日に明治神宮競技場において開催された全日本蹴球選手権大會(ぜんにほんそうごうしゅうきゅうせんしゅけんたいかい)について記載する。なお、本大会は天皇杯全日本サッカー選手権大会の第17回大会に当たる。
概要
前回優勝の慶應BRBは、関東予選の1回戦で東京帝大LBに6-2で敗れた[1]。この予選に臨んだBRBは新人を軸としてOBを3人加えただけのチームであり[1]、現役学生で構成されたほうのチームは予選決勝で早大WMWに4-1で勝利して、本大会出場権を得た[1]。
本大会には4チームが参加。九州代表の熊本クラブは出場権を獲得しながらも棄権[2]。試合はすべて明治神宮競技場で行われた。
1回戦の神戸商業大学対全普成は、前回準優勝(普成専門として)の全普成が終始優勢にゲームを進めながら、神商大が数少ない得点機を活かして、2点を先制して逃げ切った[1]。大会後の『蹴球』に掲載された小長谷亮策によるマッチレポートでは、神商大による番狂わせを“奇跡”と表現している[3]。1回戦もうひとつの試合、慶大対大阪クラブは慶大が前後半にそれぞれ3点ずつ挙げて圧勝した[1]。大阪クラブは明星商業学校サッカー部OBが中心となり組織されたチームだった[2][3]。
決勝の慶大対神商大は、慶大が前半だけで3点(前半11分 猪俣、31分 二宮、34分 二宮=PK)を奪い、試合を決めた。後半15分ごろからは神商大も好機を作り出したが、得点には結びつかなかった[1]。
出場チーム
結果
準決勝 | 決勝 | |||||
1937年6月12日、14:00(主審:竹内) | ||||||
神戸商業大学 | 2 | |||||
全普成 | 1 | |||||
1937年6月13日、14:30(主審:野村) | ||||||
神戸商業大学 | 0 | |||||
慶應義塾大学 | 3 | |||||
1937年6月12日(主審:高山) | ||||||
慶應義塾大学 | 6 | |||||
大阪クラブ | 0 |
決勝戦メンバー
|
|
脚注
[脚注の使い方]
注釈
出典
- ^ a b c d e f g 轡田三男 「サッカーの歴史 天皇杯全日本選手権 (4)」『サッカーマガジン』 ベースボール・マガジン社、1968年6月号、114-115頁。
- ^ a b 鈴木武士編著 『天皇杯六十五年史』 財団法人日本サッカー協会、1987年。
- ^ a b “蹴球 第五巻 第二号” (PDF). pp. 3-6頁 (1937年). 2009年2月27日閲覧。
参考資料
- 第94回天皇杯全日本サッカー選手権大会大会パンフレット (p. 55)
外部リンク
- NHKによる紹介 - ウェイバックマシン(2010年10月13日アーカイブ分)
| |
---|---|
※取り消し線は中止となった大会 | |
1920年代 |
|
1930年代 |
|
1940年代 |
|
1950年代 |
|
1960年代 |
|
1970年代 |
|
1980年代 |
|
1990年代 |
|
2000年代 |
|
2010年代 |
|
2020年代 | |
大会 - 予選 - 優勝 |