蓬萊峡

蓬萊峡
蓬萊峡:白く尖った地形は風化した花崗岩で高さ100m、そのうえの茶色の崖は花崗岩の上に堆積した礫層で厚さ50mに達する[1]
北側から見た座頭谷と蓬萊峡:左の砂防ダムが並んだ地形が座頭谷、これらのダムは1952年に国の事業で完成した[2]

蓬萊峡(ほうらいきょう)は、兵庫県西宮市六甲山地にある峡谷瀬戸内海国立公園の指定区域。

概要

蓬萊峡は、六甲山の裏側(北側)を有馬高槻構造線の西に続く六甲断層に沿って西から東へまっすぐ流れる大多田川の上流部、支流の座頭谷川との合流地点より上流の南側にある。破砕された花崗岩がさらに風化を受けて鋸歯状の鋭い岩峰の稜線を見せる峡谷である[3]断層破砕帯にあたり、地質学では「バッドランド(悪地)」と呼ばれる地形であるが、これほど険しい地形は世界でも特異とされる。

右上の写真にある白い岩は著しく風化した花崗岩であり、その表面は素手で簡単に崩せるほどもろい。

殺伐とした白い無数の剣山があまりにも非現実的な風景であることから、松本清張原作の「内海の輪」、黒澤明監督の映画「隠し砦の三悪人」(1958年版)など、映画やテレビドラマのロケ地としてしばしば採用された場所であったが、現在は六甲山地への代表的な登山ルートの一つとして広く知られる存在である。

座頭谷は、その昔、京都に住んでいたひとりの座頭が持病を癒すため有馬温泉へ向かう道中で行き倒れになった言い伝えから慰霊として命名された。当時の有馬への正しい経路は四十八ヶ瀬と呼ばれる太多田川の瀬を伝い、右手の船坂峠へ向かうものであった。ところがこの座頭は誤って人の通らぬ左の谷へ迷い込み、杖を頼りに谷底深く進んだが盲目がために出ることもできなくなり、ついには遺骸として狩人に発見された[4]

歴史

貝原益軒 有馬湯山記より座頭谷、小剣、大剣
貝原益軒 有馬湯山記(1711年)より座頭谷、小剣、大剣。この時代には蓬莱峡と記述されていない。
  • 豊臣秀吉が大阪から有馬温泉へ向かうときに通行した道「有馬街道」の難所であった。
  • 江戸時代に儒学者貝原益軒が著した「有馬湯山記(有馬山温泉記)」(1711年)では「剣岩」・「大剣」・「小剣」と記されている。
  • 竹中靖一は1933年発行の著書で、蓬莱峡は宝塚有馬自動車(現在の阪急バス)が剣山付近に対して名付けた名前であるとした[5]。1935年に発行されたアルピニスト向けの雑誌『山小屋』の読者投稿欄では「電鉄会社の無責任な命名とジャーナリズムの嬉しがりな宣伝」とまで指摘され[6]、「西宮新市域風土記」(1953年)でも「新しい地名」としている。1929年に発行された『有馬郡誌』には四十八瀬のみ記述がある[7]
  • 1973年に発行された「山口村誌」は、元・山口村村長の坂田勝蔵が青年時代に朝鮮の蓬莱山を訪問し、ここが故郷の景観と似ていることから、剣岩、大剣、小剣のある一帯を蓬莱峡と名付けたという説をとっている[8]。坂田は1900年から1903年まで船坂村武庫川流域の砂防工事で人夫総代を務めた[9]

見所

  • 知るべ岩 - 豊臣秀吉による石標。大多田川の古道の証
  • 座頭谷
  • 小屏風岩・大屏風岩
  • 船坂地域に残る湯山古道

所在地

兵庫県西宮市塩瀬町生瀬 及び 山口町船坂

交通アクセス

  • 阪急宝塚線およびJR福知山線宝塚駅から阪急バス95系統有馬温泉行きに乗車、「知るべ岩」または「座頭谷」下車徒歩10分。
  • JR福知山線生瀬駅から阪急バス「生瀬」バス停(国道上)より95系統有馬温泉行きに乗車、または同駅より徒歩40分程度。
    • バス路線は、基本的に2時間に1本(ほかに、冬季を除く土曜・休日には臨時便も2時間に1本の運行され定期便と合わせて1時間間隔となる)。なお、同路線はJR西宮名塩駅を発着するが、同駅からの乗車では大回りとなる。
    • 阪急バス「蓬萊峡」停留所は、蓬萊峡を見下ろす高台(上記写真撮影場所近辺)にあるのでアクセスには不向き。

周辺情報

脚注

  1. ^ 六甲砂防六十年史 p21
  2. ^ 六甲砂防六十年史 p212
  3. ^ 六甲砂防六十年史 p33
  4. ^ 山口村史 1973, p. 235-237.
  5. ^ 竹中 1933, p. 359.
  6. ^ 山小屋 1935, p. 530.
  7. ^ 有馬郡誌下 1929.
  8. ^ 山口村史 1973, p. 224.
  9. ^ 現代有馬郡人物史 1917, pp. 229–230.

参考文献

  • 「六甲砂防六十年史」 六甲砂防工事事務所 2001年
  • 竹中靖一「剣山」『六甲』朋文堂、1933年、359頁。NDLJP:1215471/197。 
  • 御在所入道「新たに私の名を付くる勿れ」『山小屋』第44巻、朋文堂、1935年9月、530頁、NDLJP:3565369/34。 
  • 有馬郡 編「五 鹽瀨村誌,六 山口村誌」『有馬郡誌 下』有馬郡、1929年、220-311頁。NDLJP:1174089/116。 
  • 山口村誌編纂委員会 編「第九章 名所・旧跡・伝説」『山口村誌』西宮市、1973年、224頁。NDLJP:9572516/145。 
  • 山口村誌編纂委員会 編「有馬郡会議員 坂田勝蔵君」『現代有馬郡人物史』三丹新報社、1917年、29-230頁。NDLJP:910197/124。 

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、蓬萊峡に関連するカテゴリがあります。
  • 蓬萊峡のバッドランド - 橋元正彦
  • 貝原益軒『有馬湯山記』 (京都大学貴重資料デジタルアーカイブ)31-32コマ
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座標: 北緯34度48分30秒 東経135度17分50秒 / 北緯34.80833度 東経135.29722度 / 34.80833; 135.29722