趙統
趙統 | |
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蜀漢 虎賁中郎督・行領軍・永昌亭侯 | |
出生 | ?(生年不詳) |
死去 | ?(没年不詳) |
拼音 | Zhào Tǒng |
字 | 不詳 |
主君 | 劉禅 |
父 | 趙雲 |
兄弟 | 趙広(弟) |
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趙 統(ちょう とう、拼音: Zhào Tǒng、生没年不詳)、冀州常山国真定県(現河北省正定県)の人。中国三国時代の蜀漢の武将。父は趙雲、弟は趙広。
事績
蜀漢を代表する将の一人である趙雲の長子。建興7年(229年)に父が死去した後、その跡を継いだ。官位は虎賁中郎督(中国語版)[1]・行領軍(中国語版)にまで昇った[注 1]。
三国志演義
羅貫中の小説『三国志演義』では第97回で登場。弟の趙広と共に、趙雲の病死を諸葛亮、次いで劉禅に報告。劉禅から虎賁中郎に任じられ、趙雲の墓守りを命じられる。
関連作品
- 陳某『火鳳燎原(中国語版)』(2001年-連載中、東立出版社、メディアファクトリー)燎原火(趙雲)と樊氏の子「燎原統」として登場する。
注釈
- ^ 書籍(ちくまの正史三国志など)によっては「虎賁中郎、督行領軍」と訳されている。
出典
- ^ 『季漢官爵考』巻三 p.32, "「虎賁中郎督」按續志有虎賁中郎,主虎賁宿衛,此加督者,蓋兼督兵故"