魯国公主

魯国公主
高麗王后
恭愍王夫妻の肖像

全名 宝塔失里
別称 承懿公主
仁徳恭明慈睿宣安王太后
魯国徽翼大長公主
魯国徽懿大長公主
出生 ?
死去 至正25年2月16日
1365年3月8日
高麗開京
配偶者 恭愍王
子女 死産
父親 ボロト・テムル
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魯国公主(ろこくこうしゅ、노국공주)は、高麗の第31代王恭愍王の妃。モンゴル人で、本名は宝塔失里(ブッダシュリ)。

父は元の皇族の魏王ボロト・テムル(アムガの子)。1349年10月に降嫁される[1]。降嫁後、元より承懿公主に封じられる。懐妊するが、難産のため逝去した。なお、子は死産であった(先に一度懐妊しており、娘を流産したという記録も残っている)。没後、仁徳恭明慈睿宣安王太后と贈号される。

1367年、元より魯国徽翼大長公主に追封され、後に魯国徽懿大長公主に改められる。

家族

  • 父:元の魏王ボロト・テムル
  • 母:不明
  • 夫:恭愍王
  • 息子(死産)

脚注

  1. ^ 森平雅彦 2008, pp. 15

参考文献

  • 森平雅彦「高麗王家とモンゴル皇族の通婚關係に關する覺書」『東洋史研究』第67巻第3号、東洋史研究会、2008年12月、363-401頁、doi:10.14989/152117、NAID 40016449497。 
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