安村 和雄(やすむら かずお、1920年10月 - 1995年9月15日)は、日本の裁判官。
概要
東京帝国大学法学部卒業[1]。1935年に司法官試補となり、東京地裁判事、宇都宮地・家裁所長、最高裁首席調査官を経て、1971年10月から東京地裁所長、1973年2月に最高裁事務総長、1974年12月に東京高裁長官に就任[1][2]。1975年10月に定年退官[3]。
1976年4月に法制審議会監獄法改正部会部会長を務め、代用監獄制度について1979年11月に運用を改善する事で存続するという結論を出した[4][5]。1979年3月に日本プロ野球選手会初代理事長に就任[6]。1980年10月に公安審査委員会委員長に就任。
1995年9月15日に東京都新宿区の病院で死去[7]。
脚注
- ^ a b “大阪高裁長官 吉田氏 最高裁事務総長 安村氏”. 朝日新聞. (1973年2月24日)
- ^ “東京高裁長官に安村氏 最高裁事務総長は寺田氏”. 朝日新聞. (1974年12月17日)
- ^ “東京高裁長官に青木義人氏”. 朝日新聞. (1975年10月7日)
- ^ “監獄法の改正部会が初会合 部会長に安村氏”. 朝日新聞. (1976年4月29日)
- ^ “代用監獄制は存続 人権、運用で配慮 設備・待遇改善も条件 法制審改正部会が結論”. 朝日新聞. (1979年11月17日)
- ^ “初代理事長に安村氏が内定”. 朝日新聞. (1979年3月21日)
- ^ “安村和雄氏死去”. 朝日新聞. (1995年9月16日)
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